救命は女性と子供を優先するべきなのか

海難事故発生の際にまず女性と子供から避難させるという行動規範を「Women and children first」という

※読者の方が勘違いしないようにあらかじめ述べておくが、Women and children firstに関して法的な根拠はない。

Women and children firstが実際に適応された例として最も有名なのは、1912年のタイタニック号沈没事件であろう。

タイタニック

事件の詳細については書籍等を参照していただきたいが、簡単にいうとタイタニック号の運行当時はまだ救命ボートの数に規則がなく、乗客全員が乗るだけの救命ボートが備えられていなかったのである。

そこである航海士が「女性と子供をボートに乗せた方がいいのでは?」と提案したわけである。

それに船長も同意し、女性と子供を優先して救命ボートに乗せた。

ちなみに、余裕があったボートにわずかに男性が乗ったものもあったが、船員が「女性と子供のみ乗せる」と勘違いした結果、救命ボートにまだ余裕があるにも関わらず、残っている男性を乗せずに出発することもあったようだ。

その結果として女性の生存率は74%、子供は52%、男性は20%と明らかな差が生まれたのである。(子供については元々の予備体力の面で死亡率が上がったか?)

他の事例およびタイタニック号での死亡率と属性

海難事故の際に誰を助けるべきかという問いは「救命ボートの倫理」として度々取り上げられる。

もっとも現在では法律を遵守している船舶については、十分量の救命ボートを要しているし、こうした問題が発生することはまずないだろう。

だが、現代においても同様の葛藤は常に我々の頭を悩ませる。

例えば、火災の現場において二人の怪我人がいたとしよう。あなたは消防士だ。一人は何とか助けれるだろうが、二人を助ける余裕がない。どちらかを後回しにするが、その間に炎や一酸化炭素中毒で死亡する可能性が否定できない。

こんな状況で私たちは一体誰を優先するのが正しいのか。

もちろん緊急事態では熟慮出来ない為、こうした議論は常に前もってしておかなければならない。

加えて、この類の理論は私たち一人一人が如何に構成員の命に値段をつけているのか、ということを浮き彫りにする。

人は皆平等、命は平等などと謳っても、それは結局画餅に過ぎないのである。

 

さて、あなたなら次のうち誰を優先しますか?

  1. 2歳の男の子
  2. 6歳の女の子
  3. 20歳の男性
  4. 22歳の女性
  5. 29歳の女性
  6. 32歳の男性
  7. 34歳の女性
  8. 58歳の女性
  9. 73歳の男性
  10. 86歳の女性

(1)年齢が若い順に優先する

実にシンプルなシステムである。年齢であれば、明確に順番をつけることができる。

また、助ける側も見た目である程度の年齢は分かるので、判断は容易だろう。

助かろうとしてサバを読む人もいるだろうが、せいぜい5〜10歳が限度であって、極端な順位の変動は起きないはずだ。

では年齢が若い順というのは社会正義として正しいのだろうか。

一般に救命ボートの倫理問題で、年齢順とした時に年齢が高い順よりも若い順という考えの人が多い。

自分が死ぬという観点で考えると、10歳の時に死ぬよりも30歳の時に死ぬほうが良いように思えるし、それが80歳の時ならば尚更だ。

「若い順に救助する」ということは「失う人生の時間的損失を減らしたい」という意図でおおよそ間違いはないだろう。

では、次の考え方はどうだろう。

(2)残りの余命が長い順に優先する

一見すると(1)年齢が若い順と同じように見えるが、実は違う。例えば、年齢順では3番目である20歳男性と4番目の22歳女性について考える。

2022年時点の男性の平均寿命は約81歳、女性は約87歳である。

平均寿命というのは「0歳の平均余命」であるので、20代の平均余命は<平均寿命-年齢>という式では当てはまらないが、統計上は20歳男性の平均余命<22歳女性の平均余命である。

また、救命対象者の中に末期癌患者など余命わずかである人がいる場合には当然順位は変動する。

しかし、実際のその人の残りの寿命は「死神」でもない限り正確に評価することは困難である。

現場で「あなたは〇〇病もありますし、肥満もあり、喫煙者ですので、順位を下げます」なんてことは非現実的だろう。

(3)女性と子供を優先する

比較的現実社会でよく見るパターンである。

子供を優先するという点については、(1)年齢順での考察の通り、損失する時間を減らすという目的であろう。

では女性を優先する意義はどうか。

確かに女性の方が平均寿命が長いため、同年齢であれば女性を優先することで損失時間は減少する。

ただし、20歳男性と40歳女性では前者の方が損失時間は長いと考えられ、この二択で40歳女性を選ぶというのであれば、その必然性がなければ論理的ではないだろう。

女性優先論においてしばしば根拠となるのが「産み育てる性」としての女性性に基づいた選択である。

次世代の再生産という観点では、女性が必要である。

挙児にはもちろん男性も必要だが、少数の男性がいれば複数の女性が妊娠することができるため、次世代の数の維持には女性の数の方が明らかに重要である。

一見すると論理的な理論だが、実は綻びもある。

「子供を産むために女性を優先する」のであれば、もう子供を産むことがない閉経後の女性は優先順位の最下位である

閉経後の女性は子供を新しく作ることは出来ないが、男性は性機能障害がなければかなり高齢でも子供を作ることが可能である。

その点で言うと、60代男性と60代女性であれば男性が優先されなければならず、女性優先の根拠としては間違っている理論であることが分かるだろう。

加えて、日本の人口は2021年時点で1.2億人もいる。言い方は悪いが、たかだか数十人〜数百人の生死が次世代の数に影響を及ぼすとは到底思えない

したがって「子供を産むために女性を優先する」という原則は建前であると言えよう。

ではなぜ女性を優先する必要があるのか。

「女性と男性では体力が違うから」という意見もある。

なるほど、確かに同年齢であれば男性の方が体力があるだろうし、ある程度救助が遅れても存命できる可能性は高いのかもしれない。

だが体力を根拠にするのであれば、

子供→高齢者→女性→男性

の順番ということになる。また障害者や基礎疾患のある人も予備力がないため、優先する必要がありそうだ。

それぞれの属性の中でも、

ガリガリ→デブ→普通→マッチョ

という順番になる。

しかし努力してマッチョになったのに、デブに順番を抜かされるのは、どうにも可哀想である。

少し論点がずれてしまったが、やはり体力論も子供と女性を優先する根拠としては少し間違っているのである。

こじつけをする事は出来るだろうが、どうにも論理的には女性優先を支持することは難しいように思う。

ただし子供・女性を優先するシステムにもメリットはある。

それは見た目で順番が明確であるという点だ

高齢者の定義を仮に65歳以上とした場合、目の前の人間が64歳か65歳かあなたは正確に判断することができるだろうか?

答えはNoだろう。

年齢は若く見える人もいるし、老けて見える人もいるため、外見からは大雑把な年齢しかわからない。

一方性別は99%は間違いないだろう。たまに爺か婆か分からないこともあるが、例外が紛れるのは多少は仕方ないと言える。

子供→女性→その他

という順番は緊急時のシステムとしては実用的である。しかし論理的には根拠に乏しく、命の選択という重大な議論において、このシステムが本当に正しいのかはよく考えなければならないだろう。

さて、上記までは論理的な議論だが、実際には「子供と女性を優先する」システムは個人および社会の感情により生まれた結晶なのではないだろうか

感情は個人個人で違うので、一般的ではないにしろ、「20代男性作業員が事故死」と「20代女性作業員が事故時」では扱いの重みは本当に同じだろうか。

女性の死亡に対してより「かわいそう」という反応が強いということはないだろうか。

ロシアとウクライナの戦争で多くの男性兵士が死亡しているにも関わらず、女性や子供の避難や巻き添えについて取り上げられてはいないだろうか。

命は平等である、平等であるべきだ、という崇高な理想の一方で、現実では死者の属性で感情は簡単に左右されているのである。

さて、長々と色々書き連ねはしたが、最後に私の思う救助の順番について述べてこの記事を終わりにしたいと思う。

<遅れたら死ぬかもしれない状況>

  1. 子供・妊婦・子供連れ(12歳未満)
  2. 若年者
  3. 中年男性
  4. 中年女性
  5. 高齢者
  6. 乗組員やクレーマー

<時間的余裕がある状況>

  1. 持病のある人
  2. 子供・妊婦・子供連れ(12歳未満)
  3. 高齢者
  4. 中年
  5. 若年
  6. 乗組員やクレーマー

まあこんなもんですかね。皆さんはどう思いますか。意見お待ちしています。