加害者家族の苦悩
平成20年の犯罪件数は253万3351件、うち殺人が1297件である。
被害者や遺族の苦しみは言うまでもないが、加害者側の家族も事件をきっかけにその生活は大きく一変する。
重大な事件を起こした加害者の家族は「加害者家族」として、世間一般からは執拗にバッシングを受けることとなる。
事件直後はメディアスクラムから身を隠すように親戚の家を頼ったり、引っ越しを強いられることとなる。
名前を変えるために離婚をしたり、社会的な立場や夢を持って生活していた者も失職に追いやられることが少なくない。
加害者の子供は親を失った悲しみだけでなく、学校も転校を余儀なくされ、転校のお別れすらいうことが出来ないという。
元々住んでいた家は「犯罪者の家」として買い手が付かないケースや、一部の正義を掲げる人たちによって、投石や落書きをされたり、最悪のケースでは放火されることもあるという。
今までの平穏な生活は事件を契機に脆くも崩れ去るのである。
そうした苦しみにより自殺という選択をする加害者家族も少なくない。
加害者家族に責任はあるのか
犯罪を犯したのはあくまでも加害者本人であり、加害者家族は基本的に関係ない。
それにも関わらず加害者家族は以下のような厳しいバッシングを受ける。
「家族なんだから責任と取るべきだ」
「家庭環境が原因なんだから家族も同罪だ」
「家族がちゃんとしていれば事件を防げたんじゃないか」
「一番辛いのは被害者だ、加害者の家族は多少苦しむくらい当たり前」
どこまでが連帯責任?
家族が事件を起こした場合、加害者家族として周囲からは厳しい目を向けられるようになる。
自治体の職員が事件を起こした場合に市長が謝罪をしたことまであった。
業務上のトラブルならともかく、自治体職員の個人の犯罪まで市長が謝罪するというのは極めて奇妙ともいえる。
仮に連帯責任が存在するのであれば、我々は常に家族や職場の部下の日常生活を事細かく観察し、問題行動については早期発見し鎮火しなければならないだろう。
子供が非行や危険行動を引き起こす可能性があると判断した親は子供を家に軟禁するかもしれない。
連帯責任を取らせるというのであれば、個人が他者の権利を制限したり、あるいは事前に連帯責任と取らないために「絶縁届」を出すという社会を私たちは容認しなければならない。
根本的な原因は刑罰の甘さか
加害者家族への厳しい糾弾は、そのほとんどが被害者でも加害者でもない第三者によってなされている。
本来は何の関係もない彼らがなぜ加害者家族に厳しい制裁を加えなければならないのか。
その答えは間違いなく、刑罰の甘さにあると思う。
殺人の判決が懲役8年とか10年だと世間は納得しない。
一人殺した場合に死刑となっていればある程度世間は納得し、それ以上の攻撃はないのではなかろうか。
ただし複数人を殺傷した場合は死刑でも世間は納得しないかもしれない。
ただし現在の日本では死刑は極刑であり、それ以上の拷問のような罪は存在しない。
厳罰化も限度があるのが悩ましいところだ。
世間は更生なんて求めていない
現在の刑法は国民感情と乖離してしまっている。
法律家はインテリ気取りで、「厳罰化は犯罪抑止力にならない」とか「更生の妨げになる」とか頭の堅いことばかり語る。
そもそもの前提が間違っている。
国民は犯罪抑止や犯罪者の更生なんかちっとも願っていないのである。
犯罪者が懲らしめられればそれで満足なのだ。
でも、そうした考えが野蛮や低俗とは私は思わない。
機械的に数字ばかりを追うインテリよりも、被害者の辛さに共感し加害者を憎む国民感情の方がよっぽど人間的で美しいとさえ思う。
さて、あなたはどう思うか。